2-1「滋賀県庁舎写真」 昭和16年(1941)3月
現在、運用されている県庁は、昭和14年(1939)4月26日から3日間かけて仮庁舎からの移転が行われ、5月16日には来賓700名を招待して竣工式が庁舎屋上において挙行されました。その後、70年あまりの時を経て平成26年(2014)12月19日には、国の登録有形文化財に登録され今に至ります。【昭の6(1)】
2-2 「接収家屋改造工事仕様書」 昭和21年(1946)
進駐軍の少佐とその家族が住むために請負業者から提出されたもので、京都市山科接収住宅の家屋を改造するための仕様書です。家は木造3階建てで改造項目は22ヶ条におよび、床のフローリング張りやブラインドの取付け(No.1)、ガラス戸の新設や出入り口の洋風化(No.5)、ガレージの新設(No.22)などの項目が定められています。【昭06-6(1)】
2-3 「連合軍使用施設一覧」 昭和22年(1947)12月
総務部渉外課長事務引継書の中に記載されている昭和22年12月当時に使用中だった施設の一覧表です。渉外課は前年の8月に、県と進駐軍との交渉・連絡を目的として、特別建設課とともに新設されました。この史料からは、県庁2階・3階の8室と1階の3室が、それぞれ滋賀軍政部と35連隊MP(ミリタリーポリス)本部に割当てられていたことがわかります。【昭06-135(2)】
2-4「琵琶湖ホテル役務提供契約書写」 昭和23年(1948)2月3日
この契約書は、服部岩吉知事と琵琶湖ホテルとの間で、進駐軍が生活するためのホテル業務提供を契約したものです。大津市錦織町柳ヶ崎にあった琵琶湖ホテルは昭和9年に完成し、桃山様式を採用した和風建築でした。内部は洋風が取り入れられ、「湖国第一の近代ホテル」として知られており、接収されたホテルは、日本政府が賃借したうえで進駐軍に提供するかたちをとっています。【昭06-15(20)】
2-5 「琵琶湖畔国際観光ホテル建物図」 昭和7年(1932)4月
解説文は2-4と同じです。【昭て12(6-2)】
2-6 「連合国軍関係使用人管理厚生規程」 昭和20年代
特別調達庁労務管財部が発行したものです。当館には総務部渉外課近江舞子出張所で使用されたものが残されています。各編には、労働基準法や労働組合、保険や福祉について記されており、日本人労務者の恵まれた労働条件がうかがえる一方、米軍本位の一面もあったため、後には新しい基本労務契約の改定へとつながりました。【昭06-127】
2-7「離職者のしおり 滋賀県総務部外務課」 昭和32年(1957)12月15日
駐留軍から離職した日本人労務者のために、総務部外務課が作成したしおりです。相談の窓口、自営業を営むことや融資を受けるための方法、離職後の社会保険などについて説明しています。キャンプ大津の全面閉鎖を翌年1月に控える中、当時離職した労務者は約1,250名ほどおり、そのうち再就職を希望する人は約600人でした。【昭06-150(2)】
2-8 「滋賀県駐留軍要員福利厚生事業<旧所・名蹟めぐり>」 昭和33年(1958)5月
渉外労務管理機関が主催して、滋賀県に雇用されている日本人とアメリカ人の駐留軍要員のために企画された日帰り旅行です。102名の対象者2班が5月26日と27日の2日間に分かれて、それぞれ延暦寺から鹿苑寺金閣、苔寺、東大寺へとまわりました。【昭06-82】