4-1「京阪電気鉄道株式会社琵琶湖鉄道汽船株式会社合併契約書」 昭和3年(1928)9月4日
琵琶湖鉄道汽船株式会社は、東海道線や江若鉄道の開業で営業不振となった太湖汽船株式会社が、湖南鉄道株式会社・大津電車軌道と昭和2年に合併した会社です。合併により利益回復を見込んでいましたが、収入は僅かで、2年後の昭和4年に京阪電気鉄道株式会社と合併します。京阪電鉄は当時、大阪・京都間を運行しつつ湖南地域の遊覧船との連携を行っており、合併することで湖北・湖西といった広域での観光客を取り込むことに成功しました。【大と41-3(2-11)】
4-2「関西鉄道創立の際及事業に尽力したるものに対する答申」 明治39年(1906)8月10日
全国で50社近い私設鉄道が発足した第1次私鉄ブームの中で、JR草津線の前身・関西鉄道(草津・三雲間)が明治22年に開通します。この鉄道は、東京・京都間を結ぶ幹線にもかかわらず、湖東地域の敷設が「閑視」されていると感じた弘世助三郎らによって設立されたものです。関西鉄道は三重・奈良・京都・大阪・滋賀を結ぶ広域鉄道網を形成しましたが、明治40年に国有化されました。【明お62(26)】
4-3「県会議長に安原仁兵衛当選」 大正8年(1919)10月11日
この文書は、「江若鉄道の生みの親」とよばれた安原仁兵衛が県会議長に当選した際のものです。高島郡安曇村に生まれた安原は、明治期から複数回計画されるも未開通だった湖西地域に鉄道を敷設するため尽力し、大正10年に三井寺・叡山間を江若鉄道として開業させました。県会議員を退いた後は、同社の社長を務めましたが、浜大津・今津間が全通した昭和6年に走行中の江若鉄道との接触事故でこの世を去りました。現在はJR安曇川駅前に銅像が建っています。【大あ41(256)】
4-4「白髭神社の図」 大正14年(1925)9月21日
江若鉄道は開業後、主に北へと延伸工事を進めました。この資料は、木戸・小松間の敷設工事の設計図面と共に提出されたイラストの1つです。背景に白髭神社が描かれ、湖に面する線路沿岸には石垣を積む予定になっています。2年後、北小松・大溝間として開通した際、白髭駅が設置されます。湖岸を埋め立てて敷設された線路で最も湖に近くなるのがこの白髭駅付近となりました。【大と42(3-8)】
4-5「近江鉄道株式会社創立願」 明治26年(1893)11月15日
明治期に開業し、存続100年以上の歴史を持つ数少ない私鉄の1つが近江鉄道です。地元住民の出願により、明治29年6月16日に創立しました。明治31年に彦根・愛知川間を開業し、その後、八日市・貴生川・多賀まで延伸しました。この資料では、蒲生・神埼・愛知の3郡は人口も多く、物産も盛んな江州米で名高い地域だが、その物産を運搬するための船着場や鉄道(東海道線)は湖岸沿いで遠く、運輸が不便・不利であり、南部の発展のために創立したいと訴えています。ちなみに、現在の八日市線の路線は、昭和19年に合併した八日市鉄道株式会社の路線がもとになっています。【明て10(25)】