4-1「立庁日に係る修史局への照会」 明治8年(1875)11月15日
明治8年5月、滋賀県は維新以後の沿革などをとりまとめるため、庶務課に編輯掛を設置して、『滋賀県史』の編集を始めます。しかし同掛は、「立庁ノ日」の時期をいつに定めればよいか、判断がつかなかったようです。同年11月、①大津裁判所の設置日(明治元年3月)、②大津県の設置日(明治元年5月)、③滋賀県改称日(明治5年1月)のいずれが妥当か、修史局(太政官の国史編纂所)に照会しています。翌年3月、同局からは①との回答がありました。【明あ246-1(8)】
4-2『滋賀県史』1(府県史料) 明治期
資料4-1の照会を通じて、立庁の時期は定まったものの、今度はその日付をどう確定させればよいのか、編輯掛は大いに悩むことになります。県庁の簿冊には、長谷信篤の総督拝命日が明治元年3月10日、赴任日が23日であるという文書以外、関連資料が見当たらなかったからです。明治9年5月、再び修史局に照会したところ、長谷総督拝命日の3月7日に定めているとの回答がありましたが、結局編輯掛は、長谷赴任日の3月23日を選択しています。【資61】
4-3『滋賀県沿革略誌』 明治23年(1890)9月18日
県史編集事業を通じて、滋賀県の立庁日は、明治元年3月23日と定められました。明治23年9月に県内務部が刊行した本書も、基本的にその見解を踏襲しています。当時滋賀県とは、あくまで行政機構のことを指し、地名としては旧国名の近江国も浸透していました。たびたび変更される県域はそれほど重視されていなかったことがわかります。ただし本書には、『滋賀県史』には記載のなかった犬上県との合併日(明治5年9月28日)が明記されています。【明お69(1)】
4-4『滋賀県史』4巻(最近世) 昭和3年(1928)3月25日
明治元年(1868)から満50年の年にあたる大正7年(1918)12月、滋賀県会において県誌編さん予算が可決され、翌8年から新たな県史編さん事業が開始されます。昭和3年に刊行される、この『滋賀県史』全6巻でも、立庁日を明治元年3月23日、犬上県との合併日を明治5年9月28日とするなど、従来の記載を踏襲しています。その一方、滋賀県改称日の明治5年1月19日を「滋賀県開設」と注記するなど、この日を重視した表現も見られます。(当館蔵)