2-1「大津観測所気象観測表」 明治25年~昭和10年
資料1-6の各地の観測所のうち、大津観測所(県庁)での観測記録です。大津観測所では毎日、土木課がその日の天気や雨量、風向風力などを観測し、ひと月分をまとめて彦根測候所へ報告していました。明治25年から昭和10年までの記録が本県に残されています。【明ね12、明た45、大ね9】
2-2「伊吹山観測所最深積雪量の記録(昭和2年2月14日観測)」 昭和11年(1936)12月
昭和元年から2年にかけての冬、滋賀県は未曾有の豪雪に見舞われ、伊吹山山頂では5m以上の積雪が5か月、10m以上の積雪が2か月も続きました。2月14日には、その最深積雪はついに11m82cmを記録し、山岳観測史上、最深積雪世界一として今でもその記録は破られていません。【昭た502(2)】
2-3「姉川地震における測候所の観測及び余震」 明治42年(1909)
彦根測候所では、明治27年から地震計が設置されていました。この文書は、測候所が明治42年8月14日の姉川地震について記録したもので、午後3時31分に急に横揺れと縦揺れがはじまり、あまりの揺れに地震計が故障したと記されています。【明ふ162-1(4)】
2-4「琵琶湖の水深図」 明治42年(1909)8月3日
明治43年開催の日英博覧会で出展する琵琶湖の模型を作製するための資料として、測候所が県に提出した琵琶湖の水深図です。彦根測候所は明治40年から41年にかけて琵琶湖の科学的調査を実施しており、その調査結果をもとに製図したと考えられます。【明て84-1(14)】
2-5「日食観測写真」 昭和11年(1936)6月19日
測候所の事業のひとつに太陽の観測があり、日射の観測や太陽黒点の観測なども行っていました。また、昭和11年6月19日に日本で日食が観測されたときには、彦根測候所も数分ごとに写真を撮り、気圧や気温、雲量などの詳細な観測記録を残しています。【大た75-4(43)】
2-6「国友一貫斎の太陽観測図」 昭和15年(1940)頃
安永7年に坂田郡の幕府御用鉄砲鍛冶職の家に生まれた国友一貫斎は、その独創性と卓越した技術を以て、多くの新武器、新器具の考案発明に成功しました。そのひとつが、天保6年に完成した既存のものよりも性能の良い天体観測用望遠鏡で、国友はこの望遠鏡で太陽黒点の観測などを行いました。この絵ハガキは、長浜市政施行に向けた調査で収集されたものです。【昭こ371-1(3-3)】
2-7「気象上より観察したる農耕代表地」 大正15年(1926)頃
大正14年ごろから農事試験場移転の必要性が議論され始め、より良い場所を選ぶために土壌、気象、交通の三方から調査が進められました。彦根測候所も気象に基づく本県農耕代表地を調査し、近江八幡や草津、河瀬などの候補地を挙げています。最終的には栗太郡治田村に移転が決定されました。【大た73(27-2)】
2-8「斎田気象関係調査復命書」 昭和3年(1928)3月6日
昭和3年、大嘗祭の悠紀地方として滋賀県が選ばれると、県内で斎田選定のための各種調査がはじまりました。彦根測候所も候補地の気象関係調査を行い、最終的に斎田に決定した野洲郡三上村については「管内ニテ最モ高温(十五度以上)ノ地域デアルカラ最適ノ候補地」と報告しています。【昭た452(11)】