4-1 「栗太銀行臨時休業に付き御願」 昭和2年(1927)4月15日
栗太銀行は郡下の資産家たちにより明治30年に設立された銀行ですが、第一次世界大戦中の放漫経営から営業不振に陥り、昭和2年4月、2週間の休業を発表します。この休業は、鎮静化を図るため政府による日本銀行の非常貸出を引き起こし、県内における金融恐慌の発端ともなりました。【昭く106-1(3-1)】
4-2 「近江銀行休業に付き電報案」 昭和2年(1927)5月
近江商人の有力者により明治27年に設立された近江銀行は、県内出身の綿業関係者らを主要な取引先として発展し、関西における有力銀行の一つとなっていました。しかし関東大震災やそれに続く昭和金融恐慌の打撃により、昭和2年7月休業に追い込まれます。【大き6-1(10)】
4-3 「近江銀行預金者救済に関する意見書」 昭和2年(1927)11月20日
今村正美県知事と鈴木喜三郎内務大臣に宛てた山中正吉県会議長の意見書です。近江銀行の休業を受けて、県内では県下預金者大会の開催や県議会決議など預金者救済の要望が日々強くなります。しかし翌年5月には単独整理を断念し、休業銀行整理促進のために新設された昭和銀行に合併されました。【昭く4-2(18)】
4-4 「県知事事務引継書(甲賀銀行休業の件)」 昭和6年(1931)
昭和6年1月に交代した田寺俊信知事から除野康夫知事への業務引継書です。甲賀銀行は2、3月ころから緩慢な預金引出しにあって次第に窮地に追い込まれていました。昭和5年の昭和恐慌のさなかに起こったこの休業問題は、昭和2年の金融恐慌から立ち直ろうとしていた県下金融界に再度大きな影響を与え、結局、昭和7年に甲賀銀行は解散へと至りました。【昭お2-2(6-2)】