滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

   

2-1「郡制施行順序」明治30年(1897)5月

 「郡制」とは、府県と町村の中間に位置する郡を地方自治体として定めた法律です。明治23年5月に公布され、従来は単なる行政区画に過ぎなかった郡に議決機関である郡会・郡参事会の設置が可能となりました。しかし、滋賀県では郡の境界をめぐる紛争が長期化したため、その施行は同31年4月まで延期されることになります。本文書は、郡制実施に向けた日程表で、議員の投票日や郡会開催の日程などが細かく記されています。【明こ8(2)】

 

2-2「郡衙位置の儀に付陳情書」明治30年(1897)9月3日

 野洲郡野洲村ほか7か村人民惣代が県に提出した陳情書。郡役所を同村停車場(駅)付近に設置するよう求めています。もともと野洲郡役所は、郡制公布直後は中山道の宿場町として栄えた守山村に置くことになっていました。しかし明治24年6月、野洲村に湖東鉄道(現JR琵琶湖線)の停車場が設置されると、同村が郡内交通の中心地となるのです。野洲村らは、同村に郡役所の位置を変更することが郡内の「公論」「公益」に沿う道だと訴えました。【明こ188(2)】

 

2-3「東浅井郡県会議員選挙要領書」明治31年(1898)8月15日

 明治23年5月は、郡制とともに、府県制度を定めた法律「府県制」も公布されていました。ただし、滋賀県では長らく郡制が施行されなかったために、同法も延期され、31年8月になって施行に至ります。それにともない、県会議員は、郡会議員と郡参事会員の投票(複選制)で選出されることになり、定数も53名から30名に激減しました。ただし、翌32年3月に府県制が改正されたため、滋賀県で複選制が用いられたのは、31年のみでした。【明き46-1(10)】

 

2-4「県参事会議事録」明治34年(1901)

府県制の施行にともない、明治31年9月、県参事会と呼ばれる副議決機関の運営規則が定められます。同会は県知事、高等官2名、名誉職参事会員4名(県会で互選された県会議員。後に6名に増員)で構成され、県会の委任を受けた事件や、緊急性を要する事件などの議決権をもちました。同会の議事録は、明治34年度以降のものが残されており、その決議録は議会事務局が保管しています。【明き27(2)】

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