(5)「滋賀県御遊覧之次第」 明治24年(1891)5月8日
明治時代に滋賀県を訪れた外国貴賓のなかで、最も著名な人物がロシア皇太子ニコライ(ニコライ2世)です。明治24年3月9日には、宮内省より滋賀県に来県の可能性が伝えられています。県はその接伴掛に、明治14年より外国貴紳接待掛を務める矢島新之助ら6名を任命しました。本文書は矢島が作成した遊覧行程で、定番の三井寺と唐崎が組み込まれています。当初は石山寺も検討されていましたが、京都での滞在短縮により削られることになりました。【明か23(31)】
(6)「県内物産の出品目録」 明治24年(1891)5月5日
明治24年3月27日、県内務部はニコライをもてなすため、県内物産の出品をうながすよう郡役所に命じます。滋賀郡からは、計9品が県に提出され、5月11日の当日は、県庁舎の収税長室で陳列されることになりました。そのうち鯉が描かれた花瓶(「水ニ鯉図花生」8円50銭)は、実際にニコライが購入したようです。しかしその後、食堂で昼食を終えたニコライは、庁舎を出た直後に津田三蔵巡査に斬り付けられ、負傷してしまいます(大津事件)。【明か24-2(6)】
(7)「史籍編纂に付筆生雇入之件」 明治25年(1892)2月1日
ニコライ皇太子の傷害事件は、本来もてなす側の県官員による犯行だったこともあり、県庁を揺るがす大事件となりました。翌25年2月、県ではその顛末をまとめるために、「露国皇太子殿下御遭難記事」の編纂が始まります。『滋賀県沿革史』を著した北川舜治らを雇い入れ、宮内庁や大津裁判所、県監獄署などから関係書類を収集しました。同年末には稿本が完成しますが、あくまで「当庁ノ記録」として利用され、広く公開されることはありませんでした。【明え217(13)】
(8)「ニコライとゲオルギオスの肖像写真」 明治24年(1891)
ロシア皇太子ニコライと、ともに来日したギリシャ王子ゲオルギオス(ジョージ)の写真。昭和30年代に滋賀県を訪れたゲオルギオス妃マリーから宮内庁を通じて贈られました。同庁式部官からの送り状によれば、マリー妃は大津市で事件に関わる遺物を閲覧した際、「非常な感動」を示したようです。この写真は、大津事件が取り上げられる際、必ず紹介される著名なものですが、その由来は時を超えた本県のおもてなしと深く関わっているのです。【資564】