(9)「英国皇太子殿下滋賀県下御遊覧御日程」大正11年(1922)3月頃
大正10年12月、県知事堀田義次郎は、内務省より英国王太子エドワード(エドワード8世)の来県を伝えられます。翌年1月、堀田は内務大臣官邸で開かれた打合せ会に出席。同年3月には、同省より滞在日程の細目案が送られました。その後、県が作成した日程表によれば、4月28日朝に大津港で乗船したエドワードは、野洲郡木ノ浜沖でエリ漁を見学し、昼には竹生島に到着。さらに多景島を巡り、上陸後に彦根城を見物する予定が組まれています。【明お53-2(8)】
(10)「エドワードの肖像写真」大正11年(1922)4月
本写真を含む史料10~19は、平成31年4月26日、堀田清子・綾両氏より当室に寄贈いただいた「堀田義次郎関係文書」の一部です。堀田義次郎は、大正8年4月から同12年10月まで滋賀県知事を務めた人物で、同文書にはエドワード王太子来県時の貴重な史料も多数含まれています。大正10年5月に訪英した裕仁親王(昭和天皇)が「熱誠ナル歓迎」を受けたことから、宮内省からは、エドワードを心して歓迎するよう指示がありました。(寄1-4)
(11)「人力車を牽くエドワード」大正11年(1922)4月
エドワード8世は、1936年1月20日にイギリス国王として即位し、同年12月11日まで在位した人物です。在位期間が歴代最短の325日であるのは、離婚暦のあるアメリカ人ウォリス・シンプソンと結婚するためでした。この行動は「王冠を賭けた恋」として知られ、映画「ウォリスとエドワード」は2012年に日本でも公開されています。裕仁親王訪英の返礼として来日した当時は、まだ28歳の青年で、ウォリスとの交際以前のことでした。(寄1-2)
(12)『英国皇太子殿下接待必携』大正11年(1922)
エドワードの来日に備え、内務省で作成されたとみられる小冊子です。表紙には「秘」と印字され、訪問の全行程や随行員の氏名、旅館の部屋割りなどが記されています。「フロツクコート」や「背広」、「スモーキング」(タキシードの原型)など、場所に応じた服装の指定も細かく指示されています。京都市歓迎会の項には、「アドレス(奉迎文)ハ読ミ、御答詞ヲ渡スコトトス」など、堀田知事が出席予定の行事には、赤字でメモが書き込まれています。(寄1-13)