(17)「堀田義次郎の肖像写真」
第16代滋賀県知事の堀田義次郎は、明治7年(1874)4月14日、福岡県で生まれました。同35年に東京帝国大学法科政治学科を卒業し、37年に文官高等試験に合格。内務省に入省後は、愛媛県書記官をはじめ、三重・滋賀・愛知各県の内務部長などを歴任しました。政友会系の内務官僚として知られ、大正8年4月に原敬内閣が発足すると、滋賀県知事に任じられ、同12年10月まで務めました。(寄1-8)
(18)「大和流弓術の調査依頼に関する書簡」 (昭和)12年7月14日
堀田義次郎は、弓道家としても著名な人物で、昭和11年(1936)5月に大日本武徳会から弓道範士号を授与されています。同8年5月、同会が全国的な射法統一を図るため、「弓道型調査委員会」を設立した際には、委員27名の1人に選ばれました。本書簡は、雑誌『刀剣と歴史』を刊行する高瀬羽皐(真卿、社会事業家)が堀田に宛てたもので、依頼のあった大和流弓術の調査を、弟の小山松吉(貴族院議員、弓道家)に託した旨を伝えています。(寄1-37)
(19)『金剛』
堀田のものと見られるスケッチブック。「梅寿」「私以為貴」(和を以て貴しとなす)などの書が5点、老師や武将、梅などの絵が7点描かれています。日本や中国に題材を得たものが多く、高山寺の「鳥獣戯画」を彷彿とさせる、和服を着た動物たちも描かれています。その他、堀田家には、手作りの印鑑なども残されており、堀田の旺盛な芸術への関心がうかがえます。(寄1-52)
(20)「堀田義次郎顕彰像の写真」 昭和59年(1984)10月
堀田は知事を退任した翌年の大正13年(1924)5月、衆議院議員総選挙に三重県第1区から出馬して当選。衆議院議員を1期を務めました。その後は昭和8年より大津市長を3期務め、名所旧蹟の整備拡充に取り組んでいます。石山寺門前に2,400坪の公園を新設し、桜・楓・つつじなどを植栽して、石山寺の美観保持に努めました。昭和59年10月には、その功績を記念して、顕彰像が石山寺に建立されています。(寄1-45)