滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

1-1「江若鉄道敷設免許申請書」 大正7年(1918)12月20日

 明治期の滋賀県会は、長らく進歩党系(憲政本党、立憲国民党)の勢力が優勢でしたが、明治末期から立憲政友会系の知事が赴任するようになると、同党は急速に勢力を拡大していきました。たとえば、大正6年12月に赴任した森正隆知事は、湖西の江若鉄道敷設を推進し、当時県会議長を務めた高島郡の有力者・安原仁兵衛(国民党)を政友会に入党させています。本資料は、同鉄道発起人総代の加藤勇から、県に提出された免許申請書です。【大と8(2)】

 

1-2「堀田義次郎の肖像写真」 大正期

 大正8年(1919)4月に赴任した堀田義次郎知事も、原敬内閣の積極政策にならって、巨額の道路改良事業や教育機関(中学校・工業学校等)の整備に努め、県内の党勢拡大に大きな役割を果たしました。堀田は明治7年4月、福岡県で生まれました。同35年に東京帝国大学法科政治学科を卒業し、37年に文官高等試験に合格。内務省に入省後は、愛媛県書記官をはじめ、三重・滋賀・愛知各県の内務部長などを歴任するなど、本県ともゆかりの深い人物でした。【寄1-8】

 

 

1-3「高等警察に関する事務引継書」 大正8年(1918)4月

 安原や堀田のような政友会系知事の背後には、大正2年から県支部長を務めていた井上敬之助の存在がありました。井上は、県会議長や衆議院議員(6期)、党本部の総務まで歴任した、県政界きっての実力者でした。前知事・森正隆から堀田義次郎知事に引き継がれた本資料(政党政派に関する事項)にも、たびたびその名が登場しています。明治24年に立憲自由党(後の立憲政友会)滋賀支部が結成されて以来、常に井上が県政局の中心にいたことが伺えます。【大お1-2(9)】

 

1-4木村緑生編著『井上敬之助』 昭和37年(1962)4月

 井上は時の総裁原敬の信任も厚く、その影響力の大きさから、「私設知事」とも称されたようです。知事与党の立場を利用して、党勢拡大を強力に推進し、先述の安原や、国民党の重鎮・冨田八郎(伊香郡)などを、次々と政友会に入党させ、「山川草木政友会になびかざるなし」と豪語するほど、政友会の一時代を築き上げました。その功績を称え、昭和37年には、最後の県支部長を務めた服部岩吉の主導で、銅像(大津市打出浜)と本書(評伝)が作られています。(当館蔵)

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