滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

3-1「甲賀郡石部村絵図」 明治7年(1874)

 資料3-1~3-4は、いずれも資料2-2に基づき作製された普請所調査絵図です。本絵図は資料1-2の調書と同じ村のもので、これまでの慣習どおり、左下の堤は「自普請」、左端の井堰や上部のため池などは「御普請」(官普請)と記されています。しかしこれらは全て、大きな河川や道路に関わるものではないため、河港道路修築規則の施行後は、3等河港道路(原則「自普請」)に分類されました。請求番号の明へ1~9、68、69には同様の絵図が綴じられています。【明へ3(79)】

 

3-2「滋賀郡別所村絵図」 明治7年(1874)2月

 本絵図の中央に描かれている「御役所」とは、明治2年から21年まで使われていた県庁舎を意味します。当時は、園城寺(三井寺)境内の円満院を借用していました。また、現在は大津市歴史博物館がある、その右隣の「陸軍省御用地」には兵営が建設され、明治8年3月に歩兵第九聯隊が配備されました。このように、普請所調査絵図は、明治初期の様々な建造物等の位置も記されており、多様な目的で多くの方々に利用されています。【明へ1-1(39)】

 

3-3「犬上郡久徳村絵図」明治7年(1874)

 絵図中央に描かれている「善利川」(芹川)は、現在は「一級」河川とされていますが、県内のみを流れるため、河港道路修築規則では「二等」河川に位置づけられました(県内の一等河川は瀬田川のみ)。久徳村ほか6か村は、本絵図よりさらに上流の「赤田井」という井堰の管理を担い、同じ水を利用する下流の高宮村ほか4か村と、時には死者も出るほどの激しい水争いをたびたび起こしています。普請所調査絵図は、水争い調停時の利用も期待されていました。【明へ9(72)】

 

3-4「東浅井郡落合村絵図」明治7年(1874)

 絵図右下には、姉川・高時川・田川という3河川の合流地点が描かれています。近隣の月ヶ瀬・田・酢・唐国の4か村は、古くから大雨のたびに大きな氾濫に見舞われてきました。幕末には田川を分水し、高時川の下を伏越樋で通す工事がなされますが、木製のため不朽が激しく、その後も水害は起こり続けました。そのため、明治17年6月、新川(田川の分水)の伏越樋をレンガ製のカルバートに替え、川幅を拡張して田川の本流にする大工事がなされました。【明へ68(15)】

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