滋賀県管内全図
西明寺境内見取図
神崎郡山上村役場簿書蔵置所
県庁周辺図(園城寺并付属地境内図)
滋賀県史(府県史料)
県名改称の布告

展示期間 令和3年11月1日(月)~令和4年2月24日(木)

 当館では、「〇〇郡各村絵図」と記された明治初期の村絵図(普請所調査絵図)を所蔵しています。江戸時代とさほど変わらない古い村の姿が記されているため、これまで多くの皆様にご利用いただいてきました。令和2年(2020年)4月からは、ホームページ上のデジタルアーカイブを通じて、ご自宅のパソコン等から閲覧できる仕組みも整えています。

 本絵図は、当館を代表する重要資料の1つといえますが、他県で類似の資料が残されていないことから、これまでその作製経緯は十分明らかにされてきませんでした。しかし近年、琵琶湖博物館や当館の調査事業をはじめ、本絵図を用いた研究が多様に進展しつつあります。

 そこで今回の展示では、本絵図作製の背景やその特徴について、同時期に作製された村絵図とともに、詳しくご紹介したいと思います。現在の面影が残る絵図、今とは大きく異なる絵図など、明治維新直後の多様な村絵図の世界を楽しんでもらえれば幸いです。

1 官自箇所調査の開始 2 河港道路修築規則の制定 3 普請所調査絵図の作成
4 地券発行と村絵図 5 村誌の編さん 展示図録

1-1「川々堤防等普請所官自取調の布令書」 明治5年(1872)4月

 江戸時代における河川堤防等の改修は、幕府や諸藩が負担する「御普請」と、百姓らが負担する「自普請」がありました。明治5年4月、大蔵省は従来まちまちであったこれらの区分(「官費」「自費」)と、明治元年から3年間の官費総額を報告するよう府県に命じました。本資料は、その指示を受けて、県が各村に宛てた布令書(法令)です。5月20日までに、これまでの慣習の証拠書類を添え、雛形に合わせて提出するよう求めています。【明い30-2(40)】

 

1-2「甲賀郡石部村川々堤防等官自箇所取調書」 明治5年(1872)5月

 資料1-1の布令書を受けて、甲賀郡石部村(現・湖南市)で作成された調書です。この村の場合、堤7か所は自普請でしたが、それ以外の堤防、井堰(川の水をせき止める所)、ため池など、100を超える設備は全て官費と報告しています。明治2年にはため池が浚渫され、人夫のべ100人の代金10両が支給されたようです。当館では、本資料が綴じられた簿冊を含め、同様の資料41冊(明ぬ1~41)を所蔵しています。【明ぬ1(1)】

 

 

1-3「元滋賀県管下六郡堤防等官自箇所進達書」 明治6年(1873)3月

 大蔵省が提出を求めた官自箇所調書のうち、滋賀県と犬上県が合併することとなった明治5年9月以前から滋賀県が管轄していた地域(滋賀・甲賀など6郡)の分は、明治6年3月に提出されました。それに対し、犬上県の旧管轄地(犬上・愛知など6郡)は、書類の引継ぎが遅れた上、肝心の官自の区別が調査できていなかったため、期限に間に合いませんでした。官自が判別しにくい村々もあり、結局全ての調書が提出されたのは、同年6月のことでした。【明う49(11)】

 

1-4「橋梁等修築の方法等改正見込取調書」 明治6年(1873)3月31日

 明治6年4月から開催される地方官会同(府知事・県令招集の会議)に向けて、県令松田道之が大蔵省に提出した建議書です。松田によれば、現在橋梁等の改修は、これまでの慣習に従い官費が支出されているものの、詳しい起源は不明で甚だ「不公平」なものだったようです。大戸川や野洲川のような「一国の大川」の堤防や、瀬田橋のような「大橋梁」の改修には官費を補助すべきだが、それ以外の「普通の橋梁」等は地域で助け合って負担すべきと主張しています。【明う173(8)】

 

2-1「水理堤防平均修繕費調査の布達」 明治6年(1873)8月2日

 明治6年8月、大蔵省は河港道路修築規則を制定します。全国の河川や港、道路等を3等に分類し、等級に応じた工事の負担方法を定めました。1等は利害が数県に関わるもの、2等は一県域にとどまるもの、3等は市・郡域にとどまるものとされ、資料1-4の通り、3等には原則官費の支給が認められなくなりました。ただし今後5年間は、これまでの年平均額の予算が認められ、大蔵省は本資料で官民の平均改修費を調査するよう府県に求めました。【明あ85(12)】

 

2-2「絵図面仕立方大概」 明治6年(1873)12月8日

 河港道路修築規則は、工事の利益を享受する者がその費用を負担すべきという、「近代的」租税観念に基づく法令でした。そのため、工事費用の負担者を確定するには、これまでの慣習だけでは不十分で、実際の利害関係を調査する必要がありました。そこで12月7日、土木専務(後の土木課)は、堤防や橋梁等の絵図面(普請所調査絵図)を提出させてよいか県令に伺い出ます。松田県令は即日決裁し、翌日絵図面の記載事項を定めた本資料が各村に布達されました。【明い45-1(23)】

 

2-3「道路堤防橋梁修築経費等進達書」 明治8年(1875)1月

 資料2-1の布達に対する県の回答書です。過去3年間の道路・堤防・橋梁等の工費と、河川・道路の等級調査書が添付されています。明治7年5月から土木専務では、道路・橋梁等の実地調査を進めていましたが、この時点では未完了だったようで、等級は「川々筋絵図面」を用いた概略区分にとどめたと注記されています。この参考資料こそ、資料2-2に基づき作製された普請所調査絵図と考えられ、官員たちの実地調査を補う役割を果たしたことが伺えます。【明な275-1(23)】

 

2-4「地方官会議御下問条々の意見書」 明治8年(1875)5月

 明治8年の地方官会議(地方官会同が改称)の下問に対する、権令(後の知事)籠手田安定の意見書です。「官租税ヲ収ルハ其国ヲ保護スルカ為ナリ」として、1等から3等までの改修費を全て官費とするのは、「政府ノ本分」だと主張しています。もちろん、維新直後の支出がかさむ時期なので、民費負担は避けられないとしつつも、3等でも半額の官費負担を求めています。同じ地方官でも、税に関する考え方には、松田と籠手田で大きな違いがあったようです。【明な275-1(33-1)】

公文書館の紹介
2023年 (令和5年)
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